「わたしの給料、新卒より安いデスヨ〜。」そう言うのは今年2年目になる後輩だ。6月が昇給であるため彼は1年目の給料で今年の5月を耐えていた。しかし、新卒の初任給が上がったため、悲しいかな、5月時点では彼は新卒より給料が低いのである。
昨今何かと新卒バブルが話題である。新卒でも月給30万、40万と破格だ。いやはや、最近のインフレには恐れ入る。
生きてます。
新卒と初任給の話で思い出す。きっと俺のこの先の人生で忘れない言葉。当時SESをしていた頃、常駐先の新入社員が研修を受けている姿を尻目に、同じくSESの50代プログラマがぽつりと漏らした言葉が頭から離れない。
「俺より、客先の新卒の方が給料高いんだよ。」
努力や能力ではなく、金をめぐる力学でこうも待遇が違うのかと思った。そして彼は今の立場で甘んじている。なるほど。革命家というのは、こういう感情から生まれるのかもしれない。俺はなんとなく、共産主義国家の指導者の気持ちがわかった気がした。
尤も、革命家になる予定はありません。しかし、給与格差というのは何と残酷なんだろうと思う。ついこの間まで学生やってたガキが自分より給料が高い。世代によっては自身の今までの努力を否定されたような気にさえなるのではないか。それで革命が起こらないのだから平和なものだとも思う。それでも言いたい、「あなたの給与、ついこの間まで学生やってた奴らより低くていいんすか!」
と、まあ金金言ってるわけだが、初任給と給料は置いておいて、、ここで勘違いしてはいけないのは人間の価値は金ではないのである。金=人間の価値と考える単純な人もいるのだろうが、そんな単純じゃないよと言いたい。このブログで何度も登場している世の中には「生産性もないけど金を稼げてしまう職業」があるわけで。それは本当に社会の役に立っていますか?と考えた時には、自己欺瞞で生きてるみんなは「はいそうです!」と言わざるを得ない。人というのは自己を肯定しないと生きていけないものであるからそりゃ「はいそうです!」と言うでしょう。誰だって自分の仕事が尊く大変だと信じたがっている。それでもあなたの仕事何の役にも立ちませんよとそれでも言い続けたい。あなたは自己欺瞞で生きていくのでしょうけど。と、まあ運良く金を稼いでいるブルシットジョブワーカーへの文句はここまでにしておいて、やはり社会貢献だと思いますよ。ふとした瞬間、「この仕事、意味あるのか」と考えた瞬間にむなしくならないか。本当に世の中の役に立っているのか?存在しない問題を解決しようとしているのではないか。誰かが割を食うことで給料をもらってないか?割と綺麗事ではなく真面目にそう考える瞬間がある。もらう金は高いに越したことがないが、必要な金をもらったあとは自身の貢献性を満たす何かが必要になる。そう考えるようになったのは俺が歳をとったからなのだろうか。若い頃は技術と金だったのに。
きっと俺の考えが変わったのは俺が金に満足してしまったから。(生きていけない給料なら転職を推奨する)書いたように最低限必要と思われる金は稼げるようになってしまったから。足るを知ってしまったから。
しかし、その先に待っていたのは「で、お前は何のために働いてるんだっけ?」という問いだったというわけだ。それが俺にとって、きっと大多数の人間にも当てはまると思うけど、社会貢献だったわけだ。やはり社会の一員として生きるっていう綺麗事感情は大事にしないといけないと思うよ。
世の中のために生きているという感覚がないとこの先数十年の人生を肯定できないと気づいた。それに今気づけたことは幸いかな。