全力サイバーパンクシティ

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底辺SES時代の話

 

おはこんばんちは。百鬼丸です。

今日は底辺SES時代の話をします。

 

断っておくがSESが全て悪いわけではない。底辺SESがクソってことね。

 

まず何から話そうか。僕のキャリアから話そうと思います。

 

大学を卒業して僕は新卒でIT企業に入社した。入社前は開発ができる。と言われたため、プログラミングで開発だ!ワクワクするぜ!と胸が高まっていたのを思い出す。

しかし、そこの会社では別の会社が作ってる製品のマニュアルの作成と検証とサポートが中心だった。

実際に入社したら、開発なんかしねえじゃん(半ギレ)とは思うものの仕事とはこんなものかと諦観もした。

 

案の定、毎日が製品の知識を学ぶばかりで、製品知識は増えていくんだけど、この会社辞めたらなんのスキルが残るんだろう、と悩みはじめた。

また、チームとしては直属の上司と僕、それ以外はBP(協力会社さん)4名だった。はっきりいって人間関係は良くなかった。上司とBPの社長とでなんだか険悪なのね。上司にとってBP社長は仕事がプロパー(そこの会社の正社員)以上にできるからなんか邪魔みたい。雰囲気的にはプロパーとBPでまさに冷戦時代のソ連アメリカのように鉄のカーテンが敷かれてるわけ。

上司は全く僕に関してノータッチで教育などは何もなかった。(僕の教育は全てBPがやってました)

 

そんな中でも当時僕は暗黒面に落ちる前だったので、「今日もお仕事頑張るぞい!」という気分で日々仕事していた。今考えればさすが新入社員である。

 

入社して10カ月経った時、BPの社長に「ここの会社は長くいるところではない」「転職した方がいい」と言われて僕の中で転職への思いが固まった。他の会社の社長がプロパーにここまで言うとは相当なことである。社員ならもう少し頑張ろとかそういうことしか言わないはずだ。それまでは入社して1年で転職はよろしくないイメージがあったので全く考えてなかった。しかし、この一言で転職活動を開始する。

 

転職サイトに登録して、開発ができる会社を探したものの、どこの会社も開発経験3年は必要なところばかりで困った。この社会はどうやら経歴を積むための経歴が必要である。

登録してた転職サイトのエージェントから、とある会社を紹介された。

 

百鬼丸さん!ここの会社さんは未経験でも開発ができて、社員のキャリアを考えてくれる会社ですよ!」未経験でも開発ができる、キャリアを考えてくれる、この言葉は当時苦しんでた新卒の目を眩ませるには十分すぎるフレーズだった。

ここで警戒していれば良かった。今の僕が当時の僕に伝えられることがあるとすれば、「転職エージェントなど信じるな。」と言うだろう。当時は自分のキャリアへの不安、ストレスで正常な判断が出来なかったのかもしれない。

 

紹介された会社の面接を受けに行った。定時で会社を上がり移動する。会社の人間はまさか僕が転職活動をしてるなんて思うまい。水面下で転職活動をする罪悪感が、当時はあった。

 

面接の会社に着くと、会社説明をされた。「BPとしてプロジェクトに行ってそこのチームメンバと一緒に開発していただくことが中心です。」まあ納得である。そして面接らしい面接を一切しないまま雑談だけで終わった。

 

こんな面接で内定通るのか?と思いつつも、そのまま終えた。結果は内定だった。今思えばSESの内定なんて簡単に出るんだよな。たとえ未経験であっても若ければ。そしてその若さを「未経験でも採用するようなSESの会社」に売るべきではなかったんだ。

入社時期は4月、そう言われたはずだった。

 

その後、会社に退職届けを出して辞める。この時3月である。何人かに止められたものの自分の人生が大事だったためお断りした。無事に有給消化に入った。ちなみ僕の会社のアカウントは退職日より前に即刻上司に消された。

 

しかし、転職先の会社から特に書類らしいもののやりとりをしてないため本当に入社できるのか不安だった。今思えばベンチャーのSES企業だから制度とか何もかも揃ってなかったのだ。

 

先方から、「面談に行きましょう!という連絡が来た」

 

面談ってなんだ?面接ではなく面談?

 

そして行ったのが神奈川の某駅、

家から遠すぎる。面談とやらが通った場合、ここまで通勤することになるのか?

駅で担当営業と客先の営業が話して、担当営業がこう言うわけだ。

「じゃ、わたしはこれで。あとはよろしくお願いします。」

え、うちの営業来ないの?と驚愕。そのまま、客先の営業に変な印象を持たれる訳にもいかないので渋々ついて行った。

なんなんだこれは。まさに僕の立場はヒトではなくモノ扱いじゃないか。しかも客先の営業何も喋らないし。僕はとても惨めな気分だった。きっと僕はこの惨めさを一生忘れることはない。帰りの電車、前職のBPさんたち(みんないい人)もこんな惨めな思いをしたことがあるのかな、とか考えた。

客先で面談を受けた。面談先の人はすごく感じが良かった。「開発をするために今の仕事にしました。」と言うと客先の営業に対して怒鳴った。開発志望の子をなんでこの業務に連れてきたのか、と。「ごめんね。」と言われてその面談は落ちた。(通勤が大変なので落ちて良かった)

 

結局僕が入社したのは5月半ばであった。それまで、面談がいくつかあったが全部落ちた。(交通費返せ)入社時期は4月でお願いしますという話だったのだが5月半ばだ。入社するまでの1.5カ月お金を切り崩して過ごした。とんだ出費だ、ふざけるな。そして入社先はかなり怪しい臭いがする。営業がすごくピリピリしている。どうやら自社の社員やフリーランスの対応に追われてるらしい。(僕がいた会社の社員やフリーランスはすぐに現場の文句を営業に言う)

 

入社したものの結局研修らしい研修はない、第二新卒だからかな。まあ、わからんでもない。

 

結局毎日、面談、面談の繰り返し、あとは雑務をこなして過ごした。面談した案件のうち、なんとか面談が通った。が、開発業務ではない。とある企業のサポートデスクだ。

 

営業からは「まずは業務経験を積みましょう!」とのことだった。おいおい前職とやってること変わらねえぞ、とは思いつつも面談経験から、開発経験がないのだから面談も通らないことも承知していた。SESに入社前は面談の存在も知らなかったし、すぐに開発案件にアサインされると思っていた。俺が馬鹿だった、もう少しSESについて調べておけば良かった、SESというものすら知らなかったけど。あの時の転職エージェントの女はSES企業の説明もせずに、こんな感じの企業に未経験開発志望の人間を送り出しているのだろうか。だとしたらとんでもない社会悪だ。

開発がしたくて転職したのにこの有様、正直すぐにでも逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、2社目もすぐに辞めたのではキャリア的に後がない。しぶしぶサポートデスク業務案件に入った。

 

常駐した会社は地獄だった。別に業務がきついわけではない。

業務時間中誰もしゃべらないのだ。雑談もないよ。こいつら一体何なんだ、何が楽しくて生きてるんだ。一緒に入った35歳のおっさん(ブラウザをインターネットと言うような人、エンジニアではないね)は年収360万だった。底辺派遣労働者は金の話をするのが好きだ。おいおい金の話を普通別会社の人間に対して話すか?と思ったが底辺はこういう習性があるらしく自分から開示してきた。とはいえこの当時は俺よりも年収が高かった、同じ仕事をしているのに。だがこれはSESあるあるで単価が同じでも商流の違いで弱小SESに入ってくるお金は雀の涙なのである。まさしく僕は中抜きを経験したわけだ。中間の会社、存在意義あるの?この中間会社の社員たちは自分の仕事を親に言えるのだろうか、中抜きがメインの仕事です!なんて僕はとても言えない。SESの全ての会社がこうではない、と信じたい。

 

他のBPも若い人はいたけど新卒で就活に失敗したような、学生時代クラスの隅で青春を過ごしたようなコミュニケーションがろくにできない陰キャばかりだった。俺はこんな奴らと同じなのかーと嘆いたが、仕方ない。

 

やってる仕事内容はサポートデスクとはいいつつもエクセルでボタンをポチポチ押してファイルを作成する仕事。こんなの何もスキルがつかねえ!今考えると人間の仕事じゃないね。でも、辞めると経歴に傷がつくから渋々やるしかない。

 

7月、それは突然に起きた。協力会社のメンバーで集まった時、ボーナスの話が出た。同じ業務をやってる35歳のおっさんのボーナスは1万円だった。はっきり言って35歳でこれはヤバイが僕の会社はボーナスはない。。百鬼丸さんは?と聞かれると、「うちはボーナスないんで。」と答えた。(マジ)

えー!!と歓声が上がる。「年収いくら?」デリカシーのかけらもない。底辺BPども腐ってやがる。

プロパーの人間もBPの愚痴をBPがいる前で平気でしてる、よく聞こえてるよ。

よくわかった。こういう仕事に就く人間は就くべくして就くんだ。俺はこいつらを見下している。でも、外野から見たら、俺はこいつらと全く変わらない代わりが利く駒でしかない。底辺、まさしく底辺。底辺社会科見学としてはいい経験である。

給料が安いのは承知だった。経験がないのだから。でも悔しいことには変わりない。

大学を出てこんな仕事にしか就けなかった、大学の同期が有名企業に就職して活躍している中、こんな状況はかなり苦しかった。

が、しかたない。辞めるのは簡単だが後のことを考えねば。そんな肥溜めの中で、家で勉強しながら、6か月経って次の現場に行った。

 

そして僕が開発業務についたのはSES企業に転職して1年後だった。しかしこの会社に所属して得たスキルはかなり浅いものだった。その後別のベンチャーに行ってちゃんとしたスキルを身につけた。